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安室奈美恵の生い立ち 母,平良恵美子さんの本「約束」の内容から見えてくるもの

1999年3月17日
安室奈美恵さんの
平良恵美子さんは他界しました。

 

安室さんに
愛情をいっぱい注いでくれた、
最愛のお母さんの死に、
安室さんのショック
計り知れないものがあったそうです。

 

その事件以来、
元々、口数の少なかった安室さんは、
より一層、
内にこもるように
なっていったそうです。

 

 

母、平良恵美子さんが語る、
奈美恵さんの子供時代!

 

母、平良恵美子さんは、
亡くなる半年前に、
約束~わが娘 安室奈美恵へ

という本を出版しています。

 

安室奈美恵さんが、
産まれてから、結婚するまでを、
母親の視点から描いた本です。

 

奈美恵さんは、
3人目ということもあるのか、
とても安産だったようです。

 

ちなみに3980グラムで誕生!

 

奈美恵という名前は、
感動したドラマの
主人公の名前からとったそうで、
女の子だったら”奈美恵”にしようと、
決めていたそうです。

 

ただ、
奈美恵さんが3歳の時に、
離婚することになり、
それからは、母と子供3人の、
貧乏生活だったとのこと。

 

家賃5000円の
狭い団地に暮らし、

 

母、平良恵美子さんは、
昼夜を問わず働きづめ。

 

ただ、家にお金がないことを、
子供たちも把握していたようで、

うちにはお金がないことを子供達もよくわかっていて、「なにか買って」ということはめったに言ってきませんでした。奈美恵も上の二人がそうだから、小さいながらもわかっていたんでしょう、私におねだりしたことはほとんどありません。

 

着るものだって、ほとんど姉のお下がりばかり着ていたし、ときには私が学生時代に着ていたミニスカートをはくこともありました。
娘のお古どころか、母親のお古まで……。
それでも奈美恵は文句ひとつ言わずはいていたんです。たまには甘えることがあってもおかしくないのに「私もこんなスカートが欲しい」と言ってきたことは一度もありませんでした。
芸能人になったいまも、その感覚は基本的に変わっていません。
洋服やブランドにはほとんど関心を持たず、たまにワイドショーなんかで奈美恵の普段着姿が映りますが、まったくあのまま。着るものにはまったくお金をかけないんです。

と書いています。

 

普通の子供なら、
アレ買って、コレ買って!!
とおねだりするのが普通ですが、
子供の頃から、
我慢することを覚えていたんですね。

 

というか、
一生懸命頑張っている
母の事を思って・・。
なのかもしれませんね。

 

ただ、一度だけ、
奈美恵さんは、
おねだりしたことがあるそうです。

でも、たった一度だけ、「ピアノが欲しい」と言ってきたことがあります。ちょうど小学校4年生の頃、アクターズスクールに通い始めて音楽に目覚めた頃です。
保育園や学校でオルガンをやっていたから、心底欲しかったんでしょう。
寝言でも「ピアノ」と言っていたほどです。
でも、我が家の経済状態では、ピアノどころかオルガンも買えません。たとえ買えたとしても、狭い団地では置く場所もありません。
ふだんならあきらめさせるところですが、「あれ買って、これ買って」と言ったことのない奈美恵が、寝言にまで出るほど欲しがっているんです。
幼い頃から画用紙にピアノの鍵盤を描き、それを弾いて口で音を出してピアノの練習のつもりでいた奈美恵の、唯一のわがままでした。親としては、なんとかしてやりたいんです。

 

やはり、相当音楽に対しては、
興味があったんですね。

 

でも、画用紙に鍵盤を書いて弾いてた・・。
というのは、泣けてきますね。

 

そして、
小さい頃の奈美恵さんの性格は、

小学生時代の奈美恵は根クラでした。
家に誰かが来ると後ろに隠れてモゾモゾしているような子だったんです。

とのこと。
将来、大勢の前で歌う、
歌手の頂点に
君臨することになるなんて、
この時は
誰も思わなかったでしょうね。

 

ただ、大人しいだけじゃなく、
内に秘めた闘志は、
ハンパない!
というエピソードもあります。

 

安室奈美恵さんが、
沖縄アクターズスクール出身だ
ということは有名ですが、

 

月謝が払えなくて、
特待生扱いにしてもらい、
授業料免除で通っていたそうです。

 

しかし、バス代も払えない・・

当時住んでいた団地からアクターズのある那覇までは、子供の足なら1時間半ぐらいかかります。
それを、奈美恵は学校が終わると家にいったん戻ってかばんを置き、バス停を頼りにして歩いて通いました。
週刊誌などでは、「家からアクターズまで歩いて通った」と美談のように語られていますが、そんな格好のいいものではないんです。
単純に、我が家にお金がなかったから。
バス代が往復で260円かかりますから、週3日アクターズに通うと毎週780円。月にすれば3120円です。
当時の我が家の経済状態では、そのお金を払うのも苦しかった。
だから、奈美恵にははっきりと言ってありました。
「校長先生にも話したように、アクターズに通うためのお金は一銭も出せないのよ。バス代もそう。それでもいいのね?」

と母、恵美子さんは念押ししたそうです。

奈美恵も我が家の事情を知っていますから、「歩くのしんどいからバス代をちょうだい」などと弱音を吐いたことは一度もありません、
往復3時間の道のりを歩きつづけたんです。

凄い根性ですよね!
弱音を一度も吐かないなんて・・。
小学4年生から通ってるんですよ!!

 

しかし、
安室奈美恵さんは、
アクターズスクールに通うため、
中学にあまり行かなかったそうです。

 

もう卒業は出来ないんじゃないか・・。
と問題になり、

 

親子そろって、
教育委員会から呼び出しが、

 

その時、
安室奈美恵さんが、
教育委員会の大人たちに
放った一言は凄いです。

「卒業できなくてもかまいません。中学の卒業証書があっても将来ごはんが食べられるわけではありません。私は歌でお金を稼ぎ、りっぱにやっていきます。そして、お母さんを楽にさせてあげたいんです。」

これだけの啖呵を、
中学生で言えませんよね。

 

今でも、
安室奈美恵さんは、
いい意味で、頑固!
一度言い出したら聞かない!
と言われていますが、
子供の頃から、そうだったんですね。

 

でも、
人と違った道に行こうとすれば、
必ず否定的な事を言う人が出てきます。

 

というか、
ほとんどの人が反対するでしょう。

 

強い意志がないと、
夢って、
叶えられるどころか、
そちらの方向に
進むことさえ
出来ないのかもしれませんね。

 

実際、
母、恵美子さんが、
奈美恵さんが東京に行く
ということを知人に伝えると、

芸能界に入ることは「子供を売ること」「体を売る世界だよ」

と言われたらしいです。

ついに夢をかなえて東京に旅立つという晴れの日に、いままでこらえていた感情が、ついに爆発してしまいました。
身支度する奈美恵の姿を見たとたん、私は思わず叫びました。
「東京なんかに行っちゃだめ!」
もちろん、それを聞き入れるような奈美恵ではありません。
ボストンバッグに衣類などを詰めながら「嫌だ、行く」と答える顔は、怒っているようにも見えました。
でも、逆にそうなると私のほうもなにがなんでも止めなければという気になってしまい、ボストンバッグを奪い取ってしまいました。
「行っちゃだめ!絶対にだめ!」
「行く!絶対に行く!」
バッグの引っ張り合いになりました。奈美恵の目には涙があふれていました。
でも……最後には、私が折れました。
奈美恵が涙をぽろぽろ流しながら言った
「絶対に成功するから」という言葉を聞いたとたん、バッグをつかむ手から力が抜けてしまったんです。私はちょうど財布に入っていた2万円を渡しました。
奈美恵はそのお金をつかみ、そのまま黙って家を出て行きました。
私はその場にへたりこみ、中学校の制服を着た奈美恵の後ろ姿を見送るだけでした。
いま振り返ってみると、娘の旅立ちだというのにずいぶんかわいそうなことをしてしまったものだと思います。
たとえ借金をしてでも、もっとお小遣いを渡し、空港まで見送りに行ってやればよかった……。

なんか、母と娘の愛を感じますね!

 

この本を見終わったとき、

 

あの、お母さんの事件が、
どれだけ奈美恵さんに
ショックな出来事だったか、

 

読む前より、
少し分かる気がしました。

 

事件の後も、
2週間足らずで
テレビなどにも出演し、
気丈な態度を見せていましたが、

 

流石、プロだなあと思います。

 

そんな強い安室さんですから、
引退にも、
それなりに訳があると思います。

 

あと1年、
応援し続けたいと思います。